銘苅 淳選手


銘苅選手は中学生からハンドボールを始めたそうですが、いまの小学生や中学生にもぜひ、読んでもらいたい記事です。今後も不定期で現役選手に登場していただき、選手のオフコートに着目しながら選手のキャリアサポートを考えていきたいと思います。

ここでは選手が歩んできた道のりをわかりやすく示すために、自分史シート(東海林、2012、スポーツコミュニケーション)の手法を取り入れて、心理状態(心の状態が良い時、悪い時)を示しながらその成長の過程を説明していきます。


中学時代から始まったハンドボール生活について簡単に教えてください。

中学2年生からハンドボールを始めましたが、当初は何が何だかわからないままに言われたことをしていました。でも、どんどんできるようになっていく自分が楽しくて、しんどいこともありましたが、充実の毎日でした。

中学3年生になり、JOCジュニアオリンピックカップで初めて全国制覇しました。

高校2年生の時にものすごくモチベーションが低下したことがありました。もうハンドボールするのが嫌になるくらいでしたが、自分の居場所も他にはないし、ハンドボール自体は嫌いにはなりませんでした。いま思うとせまい考え方の中で生きていたなと感じますが、そのときはその時でベストを尽くしていたと思うし、正しいと思ったことをしていました。

顧問の先生がきちんと向き合って話をしてくれたことが大きかったです。深い話をしたことはあまりなかったのですが、話をしてみると、しっかりと自分のことを考えてくれていたことに気が付きました。こんなにも深く愛情を注いでくれているのに、そんな人を哀しませてしまっている自分が情けなくなってまたがんばろうと思えました。

大学時代を経てトヨタ車体に入社してから自分の中でハンドボール観が整理されたと思います。

トヨタ車体では足首の手術をしてから出場時間も減り、心身のコンディションが良くありませんでした。このままでは良くないと、海外移籍をすることを決めました。そこからは目標が一段階あがり、現状を我慢して耐える毎日だったのですが、その分のエネルギーを世界と戦える個人になる準備にそそぐことができました。

移籍してからハンガリーでは4が経過しますが、チームの破産や監督との相性、語学の壁(監督が英語ができずにコミュニケーションを図ることができなかった)などによって自分自身のメンタルに浮き沈みもありました。海外移籍はすべてのことが新鮮ではありますが、自分の思い通りに行かないことも多く悩む日々も過ごしました。その後、アジア選手権の代表選手に選出され獲得権を得ました。この経験は私にとってとても貴重でした。    



銘苅 淳選手の自分史


自分が不調だったとき、落ち込んだ時の出来事について教えてください!

自分史年表を見て、振り返ってみると、高校、大学、社会人と各カテゴリ-で、気持ちがどんと落ちる時がありました。そんな時でも、自分で決めたことはやり通しました。具体的に言えば、身体のコンディションだけは保つように自分のトレーニングは継続していました。これは誰にも左右されることなく、高校時代から現在に至るまでずっと継続しています。状態が悪い、迷いがあるというときは、だいたいが人間関係が起因するものですが、それに伴って活動量が落ちて、身体のコンディションが落ちます。そんな時は精神的に回復させることに取り組むよりも、粘り強く、いつものルーティンを崩さずにフィジカルを維持することが大事だと思います。身体が動くようになれば、だんだんと心も軽くなります。なので、各カテゴリーで状態が落ちたときほど、フィジカルコンディションの向上を考えていました。フィジカルはやればいいのである意味楽です。いろんなことを考えなくてもよくて、ただ計画通りにやって、やりきればいいのですから。

また、ラッキーなことに私には落ち込んだ時に話を聞いてくれる恩師がいたのが大きいです。多少愚痴っぽくなっても話を聞いてくれるだけでこちらは楽になるし、会話の中で示唆があることが多いです。


銘苅選手がめざすものは何でしょうか?    

私はずっと指導者になりたいと思ってプレイしてきたし、今でもそうです。現時点での目標はより高いレベルで自身がプレイし、知識と経験を蓄えることですが、最終的には指導者になってそれまでの記憶を還元できたらいいと思っています。

夢としてはハンドボールを文化として捉えられるようにしていくことです。志としてはハンドボールを文化として捉える人が増えて、人生を豊かに送る人が増え、その人たちを見て周りまで幸せにしていくことで訪れる世界平和です。


小学生、中学生、高校生のハンドボーラーに発信したいこと!  

ハンドボールは人生の一部であり、人生をより豊かにしてくれるものの一つです。そこにその時の人生の大きなエネルギーを注ぐことで得られるものはたくさんあります。中途半端ではなく、がむしゃらに取り組んでください。全員が全国制覇をすることはできませんが、ハンドボーラー全員がキラキラ輝く人間になることはできます。

自分を高めることを緩めずに、挑戦することを恐れずに、自分を信じることを止めずに取り組んでください。あなたを見てハンドボールを好きになる人、あなたを見て幸せになる人を一人ずつ増やしていくと、ハンドボールはきっと文化になります。世界平和が訪れます。我々がハンドボールの魅力を信じなくては、誰もハンドボールを磨いてはくれません。

たまにはちょっとだけ欲張って、自分のいる世界から飛び出してください。それが始まりの合図になってどんどん自分を好きになっていくことになると思います。    



プロフィール

銘苅 淳(メカル アツシ)

1985.4.3生まれ。

沖縄県浦添市出身。

港川中学2年生からハンドボールを始め、那覇西高校、筑波大学を経て日本リーグトヨタ車体に入社し4シーズンプレイ。2012年のシーズンからハンガリー1部リーグに移籍し、チームの破産やシーズン途中での移籍を経験し、4年間で6チームでプレイする。201415シーズンではレギュラーシーズンでリーグ最多得点を記録。2016年アジア選手権で日本代表に招集され、26年ぶりに韓国に勝ちアジア3位となって世界選手権出場権を獲得。

好きなアーティストはドリカム。

好きな言葉は品行方正、夷険一節。

モットーはなりたくない自分にならない。

世界一尊敬する人は母。