大城 章 監督


ハンドボールとの出会いからこれまで

私の生まれた沖縄県浦添市は、みなさんご存じの通り“ハンドボール王国”です。そんなハンドボールが身近にある環境で、小学4年生の時に友達数名と入部しました。私は元々スポーツ万能なほうだったので、幸いにもすぐに試合に出るチャンスをもらいました。しかし、顧問の先生はハンドボール未経験の方で、特に細かな指導を受けることはなく、ただ毎日先輩のプレイを真似ていた状態でした。そんな中、小学6年生のときに、ハンドボール経験者の女性の先生が赴任してきました。これまで先輩の真似ばかりしていた私たちにとって、その指導は大きな衝撃であり、ハンドボールの魅力に引き込まれたきっかけとなりました。先生からプレイ基本的な考え方を事細かに指導して頂いたことは、その後の私の競技人生の基盤となっています。また、基本練習の後には必ず試合で成果をチェックしていました。当時の私たちは、日々上達していく自分たちに大きな期待していたのかもしれません。その先生と出会い、ハンドボールが大好きになった私たちは、念願の全国大会に出場し、2位になることが出来ました。それまで、県大会でも勝てなかったチームが、一人の先生との出会いから一気に成長したように思います。

 そして、名門神森中学校に入学しました。この3年間が現在の私の指導者としての考え方を決定づけた期間でした。その当時から神森中学は全国大会常連であり、日々の練習は過酷そのものでした。そこには小学校の頃に感じた「楽しさ」は全くありませんでした。ただただ、「きつい、苦しい、練習早く終わらないかな・・・。」そんなことを考えながら日々を過ごしていたように思います。そう感じていたのは、大きな要因がありました。それは、指導のされ方でした。現在では決して許されない暴力指導が日常だったからです。シュートを外せば殴られる、それが怖くてシュートを打たなければ殴られる・・・。「僕はどうしたらいいのだろう?」と自問自答を繰り返し、ハンドボールをすることが怖い時期でした。追い打ちをかけるように、新チームになるときにキャプテンになったのですが、チームをまとめきれず、わずか数か月でキャプテンを下されてしまいました。当時は、自分に自信が全く持てず、人の目ばかり気にして生きていたように思います。

 その後、那覇西高校⇒早稲田大学と進学し、全国大会トップレベルでプレイすることが出来ました。しかし、選手としては特に目立った活躍もできず、大学卒業後は指導者を目指すことにしました。そこで、世界トップレベルである欧州でコーチングを学ぶという決断をしました。留学先はスペインを選びましたが、そこでの2年間の経験はこれまでの私の人生の中で最も充実したものでした。留学当初は、文化・言葉・価値観(物事の捉え方・考え方・自己主張の方法なども含め)の違いに大きな戸惑いを感じました。特に言葉の壁は大きく、自分の言いたいことが上手く伝わらないストレスは想像を超えていました。2年間の留学の中で、物事の考え方や捉え方、アプローチの仕方など多くのことを自分の中で発見できた期間でもありました。この経験も現在の私の指導に大きな影響しています。


大城 章監督の自分史

自分が不調だっ

き、落ち込ん

だ時の出来事

につい

 

(自分史曲線が下がった状態

から上がる状態のとき:誰

に、何に影響を受けたか、そ

のときどういう気持ちだった

のか、そこからどのように

い上がって行ったのか、つら

い経験はその後の人生にどの

ような影響があるのか?)

 これまでのハンドボールキャリアの中で、一番不調(気持ちが不安定)だったのは、間違いなく、中学時代でした。前述したようにハンドボールをすること自体が怖く、自分にも全く自信がなかった時期でもありました。そんな私を救ってくれたのは、仲間と恩師の存在でした。彼らにはいつも励ましてもらい、愚痴もたくさん聞いてもらっていましたね。恩師には、「それだけハンドのことを考えているのなら、続けなさい」と言われたことは今でも覚えています。また、父親には「自分で決めた道なんだから最後まで逃げずにやりなさい」と何度も言われました。高校時代の恩師からは、今でも挨拶に行くと、「OK、人生頑張れ」と言われます。私にとって“人との出会い”と“言葉の力”が人生に大きな影響を受けていることは間違いありません。ですので、現在指導者となってからも、選手に対し、私の言葉が彼らの人生に大きな影響を与えることを十分理解し、責任を持って指導するよう常に心掛けています。今、私が皆さんに贈りたいのは、“前後際断”という禅の言葉です。この言葉の意味は、私たちは「過去」の憂いや、「未来」を必要以上に心配し過ぎてしまうことがあります。自分ではどうしようもないことに思いをはせるのではなく、「今」に集中することが大切という意味です。今、この瞬間を精一杯生きること、これが出来なければ未来は変わらないということです。


目指すものは何か

 

(夢や目標、何を一生懸命取り組んでいるのか)

 私は指導者になった時から、「自立・自律した選手の育成」を一番のテーマとして日々の指導を行っています。私の考える自立・自律した選手とは、①自己を客観視しできる(自己分析)②すべきことが明確である(目標に向けての取り組み過程)③行動に移すことができる④継続し続けることができる選手のことを指しています。要するに、“考えて行動できる選手”を育成したいと考えています。これは、選手を終えて後の人生においても必要なことだと考えています。私にとってハンドボールは、人生を豊かにする一つのツールにしかすぎません。勿論、試合で勝つこと、またその勝利のために日々努力し続けることは大切なことです。その中での“人間づくり”これを私は日々考えています。答えもゴールもない永遠のテーマですが、やり甲斐のある魅力的な挑戦だと思っています。


ハンドボーラーに発信したいこと

 

(小学生、中学生、高校生に向けて)

 私からのお願いは、“ハンドボール人間”にならないでほしいということです。ハンドボール以外に興味のあることは何ですか?勉強は好きですか?家族との時間を大切にしていますか?当然、これまで通りハンドボールが上手くなるための努力は続けてください。その分、ハンドボール以外のことにも目を向けてみてください。時間を割いてください。必ずハンドボールに繋がるヒントがあるはずです。色んな角度から物事を見る訓練にもなります。私が留学していたスペインでは、シーズンが終わると2か月ばかりバカンスがあり、その期間彼らは多くのことを経験します。家族でキャンプに行くもの、海外へ留学するもの、別の競技をトライするもの、その多くが彼らの人間性(幅)を広げています。また、たくさんの人と関わってみてください。自分と考え方の異なる人、価値観の違う人と付き合ってみてください。多くのストレスがあるでしょう。「そんなこと普通でしょ!?」「どうして、そう考えるの?」と苛立つはずです。それは、自分だけの価値観、物事の捉え方をしているからではありませんか?私もそうですが、一つの視点から物事を見てしまうと、凝り固まったアイディアしか出てきません。様々な視点、角度から物事を客観視できるようになるためにも、多くのことを経験することが重要だと考えています。そして、その全てがハンドボールの成長にも繋がると私は確信しています。

 もう一つは、自分の決めた道を信じ、一生懸命努力してほしいと思います。これは、私自身へも言えることですが、自分で決めたことに対し、責任を持って行動し続けてほしいと思います。私はハンドボールという素敵なスポーツと出会い、多くの経験をし、現在はプロの指導者として生きています。今後みなさんと共にこの魅力あるスポーツを未来に繋いでいくために、“前後際断”という言葉を大切に、“今”を生きていきます。



プロフィール

大城 章
沖縄県浦添市生まれ
宮城小学四年生からハンドボールを始める。

以降、神森中学→那覇西高校→早稲田大学と競技を続ける。
大学卒業後の6月から2年間スペイン・バルセロナにてコーチング留学。

帰国後は母校早稲田大学にてコーチングを開始。

8年間の指導を終え、昨年4月より日本リーグ女子、ソニーセミコンダクタマニュファクチャリング株式会社の監督に就任。

在に至る。